天の神様にも内緒の 笹の葉陰で


     11



もう随分と遠い遠い昔の話、
近所にそれは信心深いおばさんがいて、
子供好きだった人で そりゃあ可愛がってもらった。
小さな路地を挟んで軒の低い長屋が向かい合う、
そこは よくある下町の、
そのまた端っこという慎ましい一角で。
身寄りもいないこじんまりとした世帯での一人住まい、
特に裕福というのじゃない暮らしぶりだったが
不足を言うでなし、いつも穏やかに微笑っておいでの、
子供から大人まで、ご近所に住む皆からも好かれていた、
なかなかに品のいいおばさんで。
ただ、生来のものか、ゼンソク持ちだったようで
時々苦しそうに胸を押さえては
ひゅうひゅうと辛そうな呼吸をしていたのが
見るからに気の毒だったのを覚えてる。
ささやかな道楽として植木棚に育てていた鉢植えも、
すっかり土だけとなってた時分、
随分と底冷えのするとある夕暮れどきに、
いつもの発作が出たおばさんで、
しかもしかも、
その場に居合わせたのはまだ子供だった自分だけ。
大人を呼ばなきゃ、
ああでも おばさんを一人おいても行けないと、
二進も三進もいかず、おろおろしていたそこへ、

 それは不思議なお人が姿を現した

表から入って来たにしては、
声かけはおろか、ガラス格子を開けた気配もしなくって。
おろおろしていて気がつかなんだのだろうって
あとから大人たちに言われたけれど、

  だったら何で、
  こうまで色々と鮮明に覚えている自分なのだろう

当時は職人が多かったその町では
遠い会社への勤め人なんてのも まだまだ珍しくて。
今で言うスーツ姿だったことさえ
不思議な存在感づくめだった そのお人は、
強いて言えばうっすらと微笑っていたが、
この一大事に 楽しいとか嬉しいとか
そういう不謹慎な顔をしていたということではなくて。
余裕を感じさせる穏やかそうな表情のまま、

 これは桃源湯といいます、と

おたおたしていた自分へと、
頼もしい手から小さな紙包みを手渡してくれて。
そちらのご婦人へ、白湯で飲ませてあげなさいと、
そりゃあ丁寧に話しかけてくださった。
よくある五角形に折り畳んだ薬包紙を開くと、
桃色の散薬が入っており。
頓服か何かだろうと察して、
あたふたと、それでも覚えがあった水屋から
湯飲みを取り出して白湯を用意し、
咳き込んでたおばさんへほら飲めと勧めたところ…。

  あらあら不思議、摩訶不思議

飲んですぐは呼吸が辛そうなままだったが、
ほんの瞬き五つもしないうち、
脂汗が出ていたほど苦しそうだった発作も収まって。
それのみならず、日頃から腰や膝が痛いと言っていたのも
どこだったか分からないほど何ともないという。
見る見るうちという、しかも凄まじい効果の現れの鮮やかさに、
まだ子供だった自分は何とか大人へ伝えようとしたけれど、
その場にいた自分でさえ、あれこれと信じがたいこと、
うまく伝わるはずもなく。

 『始末に困ったヒロポンをくれたんじゃないのか』

しまいには そんなとんでもないことを言う奴まで出る始末。
とはいえ、おばさんがすっかりと元気になったのは
見れば分かる動かし難い事実なだけに。
不思議は不思議なことだが、
日頃の信心深さが何か奇跡を起こしたに違いないよと
大人たちの間でもそんな方向で落ち着き。

 『なんだ、お前もいたんなら、
  どこの神様仏様だったか ちゃんと覚えといてやれば
  婆さんもその神様の祀られてるとこへ
  お礼のお参りに行けたのによ。』

今度はそういう勝手なことを言われる始末。
おばさん本人は、
そんなことないよ、坊ンがいてくれて助かったよと、
やっぱり優しく“ありがとうね”と言ってくれて。
善行を施したらいいことがあるとか、信心深いと助けてもらえるとか、
先に御利益を期待しちゃあいけないんだろうけど、
そんでも
そういうことって確かにあるんだなと思ったねぇ、あんときは……。





     ◇◇◇



まるで前もっての打ち合わせがあったかのような
見事なまでの間のよさ、
いやいや イエスやブッダからすりゃあ 間の悪さにて。
JR立川の駅ビルから大通り沿いの舗道へ出たところで、
片や少女から腕を取られたイエスであり。
それとほぼ同じタイミングで、
もう片やのブッダはといえば、

 “…はい?”

丁度すぐ傍らに立っていた格好の大通りの、
タクシー乗り場へのロータリーになってた辺り。
徐行しながら するするっと向背からすべり込んで来た
とあるボックスカーのスライドドアが
停車を待たずという忙しさで開くと同時、
後部シートから身を乗り出して来たのだろ、
誰かの腕にまずは取っ捕まり。
前部の運転席からも伸びて来た腕との2人がかりで
搦め捕られて引きずり込まれ。
あれよあれよと言う間に車中へ取り込まれていた鮮やかさ。

 「よし急げ。」
 「いいんか、兄やん、もう一人は。」

あとから連絡すればどうとかこうとか、
続いた言いようが、ドアを閉じるスライド音に引き潰され、
そのまま発進して行った手際のよさは
こういう物騒なことへの常習犯じゃあなかろかと思えたほどでもあって。
そして、

 「な…っ。」

あまりの鮮やかな展開だったのへ、
そこはさすがに呆然としてしまったイエスが、

 「ぶっだ…っ。」

日頃は ちょっぴり及び腰だったり、
はたまた…そこはそれこそ“神の子”だからか
今一つ危機感が薄くてのんびり屋さんだったりする彼ではあるが。
こたびは場合が場合だし、連れ去られた人が人。
それは素早く我に返れたものの、それと重なったのが、

 「なんてことをっ!」

すぐ真横という傍らから立った、それは鋭い憤怒のお声だ。
想いも拠らぬという点では
不意打ち同然という代物だったその上に、
随分としっかりと芯の通った、正しく一喝。
自分が怒鳴られたような気がして、
大事なブッダの一大事という、途轍もない渦中だというに、
あくまでも反射から ひぃいっと逃げ腰になったそのまま、
何かから逃げるよにして
その身を除けかかったイエスだったくらいだから、
その迫力 推して知るべしで。

 「あ、あの…。」

当然のこととして、周囲を行き交う人らの視線まで、
何だ何だと あっさり吸い寄せていたほどに、
それは腰の据わった、張りのあるお声を上げたのは、
当事者だと信じ難いほどに小柄で可憐な、
そう、イエスの二の腕へ触れて来て
あの…と声を掛けかかってた少女に他ならぬ。
どう考えても 今の一連の出来事への憤慨のようだったし、
心当たりがあっての物言いにも聞こえたため、
イエスとは結構な身長差のある、そんな相手を再び見下ろせば。
さらさらした髪に縁取られた端正清楚なお顔を
驚きと憤怒とに険しく強ばらせておいでの うら若きお嬢さん、

 「早く追いましょうっ。」

 どうしてだろか

何をするかっと いきり立った熱こそ
彼女自身の大声で一気にうやむやにされたものの、
無論、収まり切ってなどいないままのイエスの心情を
そのまんま 透かし見てでもいるかのような
ドンピシャリな言いようをなさるではないか。
渡りに船とか願ったり叶ったりとかいうのとも、
何だか微妙に違うようだが、
今はそんな細かいことを言っている場合ではなくて、

 「はいっ。」

幼い少女の指示へいいお返事をし
既に反転も終え、通りから駆け去りかかっているボックスカーを
何とか見逃さぬまま 視野の中に収める。
停まり切らぬうちにすべて終えてという再発進こそ素早かったものの、
駅ビルの角の交差点にて
さっそく信号に引っ掛かってしまっていたようで。
車道を左右から挟み込んで見下ろす、
夏の威勢のいい濃緑を宿した並木からの木洩れ陽が、
ボンネットにキラチカと躍っているのまで見て取れたほど。
平日の午前中とあって、
駅前大通りの交通量もまだ少なめ。
よって、車列に紛れて姿そのものを見失う恐れはなかったけれど、

 「…困ったわね。」

お嬢さんが忌々しげに呟いたのは、
肩越しに背後のタクシー乗り場を振り返ってのこと。
そっちもそういう時間帯ではないからか、
空車は一台も停まってはいない。
見失う心配はないものの、これでは追う手立てがないも同然。
援軍を呼ぼうとしてか、
肩から提げていた、紐の細いショルダーバッグへ
小さな手を伸ばしかかった彼女だったが、
そこへと駆けつけたのが、

 「兄貴ぃ〜〜〜っっ!」

しゃーーっという車輪の音も判りやすい、
よほどのこと凄まじいスピードで勢いよく駆けつけたか、
リーゼントもやや崩れ掛けていた

 「竜二さんっ!」

その人だったのであった。





     ◇◇



一見、そばにあった駅ビル内の
大半を占めている大型店舗の制服のよな、
大人しやかな濃紺のいで立ちは、だが。
見る人が見れば、たいそう品のいいツーピースと見て取れたろう、
趣味のいい装いであり。
シャーリング加工がされているのか、
薄手の柔らかそうな生地が涼やかだし
ちょっとした所作への愛らしい動きを添えていて何とも可憐。
スクエアにカットされた襟ぐりから覗くは、
彼女自身の純白のデコルテで。
白い耳朶の左右で軽やかに揺れる手入れのいい髪、
細い首元、鎖骨の合わさるくぼみのか弱さ、
清楚で一途な少女の魅力が余すことなく宿る見栄えは、
いっそ眩しいほどだったし、

 “あれが、雑貨屋さんの奥さんが言ってた女の子…。”

イエスの風貌を仔細にわたって説明し、
こういう人がこの辺りで見かけられていると聞いたのですがと、
尋ね回っているらしい女の子。
確かに女子高生くらいという風貌だったし、
だがだが、装いの点で微妙に一線引いたそれだったことといい、
訊いていた条件にドンピシャリで符合する存在だったその上に、

 “物腰も落ち着いていて、
  楚々としていて、いいお嬢さんだったなぁ。”

今時のお元気でやや蓮っ葉なお嬢さんが悪いとは言わぬ。
作法やマナー、落ち着きや思慮深さなどなどは、
これから幾らだって身につくことだし、
ちょっと至らないところもまた、
十代くらいの若人には あって良いだろ特長でもある。
社会的・経済的閉塞感を打ち払い、
様々なブームなりムーブメントなりを
世に送り出して来たのも彼女で…と、
いや そこまでの論を紡いでいる場合ではなくって。

 “…イエスにお似合いだったなぁ。”

何でも受け入れ 何でも愛す、
アガペーの申し子たる“神の子”イエスだが。
いざという時のの頼もしさとの相殺か、
日頃はちょっぴり押しに弱いし、
無邪気さが過ぎて警戒心も薄い。
総じて危なっかしく、
しっかり者で通っているブッダとは正反対と言え、
大天使たちが過保護になるのも無理ないかも。

 「……。」

今更 彼をこき下ろしたいのではなくて、
おおらかそうだが、その実 繊細でもある彼なので、
自分のようなしっかり者が引き回した方が
支障なく要領もよく過ごせはするのだろうけれど。
合理や効率を優先するあまり、
いつぞやにそんな彼のプライドまでへし折ったような
気の毒な事態だって招きかねぬと思えば、

 野花のような、それでいて凛と清々しい、
 このお嬢さんみたいな人がちょうどぴったりなのかも知れない、と

するり無理なく思えてしまったことが、
ブッダの思考とそれへ連なる所作動作を停めてしまったのであり。
くどいようだが、
何となれば大人の巨象だって投げられる力持ち、
それはそれは頼もしいブッダのはずが、
イエスの腕を取ったお嬢さんという構図に
思考が停止してしまったがため、
その身をあっさりと拉致されてしまったのだったが。

 「   …………ぶっだ〜〜〜っ、どこ〜っ!!」

後方からだろう、
思い切り頑張って声を張ったらしいイエスの声が確かに届いて。

 “あ…。/////”

動き出した車はきっと、
駅ビルからどんどんと離れているに違いなく。
もしかして、
どうとでもなれなんていう捨て鉢な気持ちもあってのこと、
唯々諾々、されるがままになっていた自分かも知れぬと、
そうと気づいて恥ずかしくなる。

 だって、
 人目も多い街なかだというに
 こんなにも切迫した声で、
 逢いたいと、どこ行ったのと叫んでくれるイエスなのにネ

繊細微妙な感覚と同時に、大胆不敵な行動を起こさせる力も持つ、
それはそれは複雑にして
まだまだ慣れるには難しい“恋情”という想いだけれども。

 僻目
(ひがめ)で解釈してはいけない、と

信じる強さや甘える強さを身につけて、
それらを支えに鷹揚に構える自信をつけなきゃあいけないと、
しょむない悋気を起こすたび、大反省をして来た自分ではなかったか。

 「…っ、停めてください。」

大体、何でまたこんな見ず知らずの人たちに、
何の覚えもないのに車へ押し込められなきゃあならぬ。
イエスの側が忘れたころに持ち出す彼の側からの心配ごと、
ブッダを攫いに来る人が現れたら、
私では太刀打ち出来ないよぉと案じていたのが、
まさか現実にやって来たとでもいうのだろうか。
だとしたら、
どれほどに案じている彼かを思えば、
自分が取るべき行為はただ一つ。

 「誰と間違えているかは知りませんが、
  私にはこんなご招待をされる覚えはありません。
  降ろしてください。」

我に返ったそのまま、毅然とした態度で言い放ったものの、
すぐ隣に座している色つきメガネの男性は
横柄に肩をすくめると
“何の話?”と言いたげな、
まるきり言葉が通じていないかのような格好で、
取り合わない態度を見せるものだから。

 「そうですか。
  穏便に済ませてあげたかったのですが、そう来ますか。」

忘れちゃいけない、
引きずり込むという強引なことをした彼らであり、
それだけで十分 乱暴な不法行為なのであり。
しかも、こたびはといや、
こちらが呆然としていたから成功しただけ。

 「歩み寄りはしましたからね。」

清楚な品のよさをたたえ、折り目正しい物言いをする、
何かしら宗教関係のお人らしい その見栄えや態度から。
自由を奪うも、意のままに従わせるのも、
さして手古摺りはしないと思っていたなら大間違いだと、
深瑠璃色のくっきりとした印象的な双眸を細く絞り込むと、
実力行使に出ることにしたらしき釈迦牟尼様。
普段は慈愛を授ける温かな手で、何かしらの印を切り始める。

 何せ、そうしようと切り替えた切っ掛けが
 イエスの声だったのだから、
 生半可なそれで収まるはずはなく

突然、ドガンッという重々しい衝撃音がして。
何だ何だと周囲の皆様がぎょっとする中、
ぐぐぐ、ぎがごぎ、がちゃがちゃ・がくん、と
スライド式のドアが、
その足元に当たる側を、
真上へそそり立たせるという
異常にも程があるよな開き方をしたもんだから。

 「わ、すげぇ、ウィング式のドアだ。」
 「高級外車だぜ、あれ。」

無邪気な声が舗道のほうから立ったものの。
中にいた人のうちの約2名ほどは、
身も凍るようなという体験を
久々にしみじみと味わったと、後日に語ったそうである。









       お題 7 『仲直りの蒸しパン』



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  *真相ご披露の段は、
   オリキャラ出まくりの展開になると思われます。
   意外な事態がかかわってたので悪しからず。
   それにしても…最聖としてのオーラを封じていても
   奇跡は起こすわ、これだけのことが出来るわでは、
   あんまり意味がないような。(苦笑)

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